展望車と一緒に活躍した車両たち
マイ38について
一等展望車と一緒に活躍していた車両の中にあまり知られてない車両があります。 マイ38 その生い立ちは《供奉車》、そうです天皇家が使用される御料車に付随して走行した車両です。 戦後10年が経過し、外国からの観光客も大勢来た事でしょう。冷暖房完備の1等車が不足したことと思われます。 かといって展望車を2両連結するわけにも行きません。 供奉車300号、301号を改造しスイ38に、冷房装置を搭載しマイ38になり、外人観光客の多いときに連結された と聞いています。その貴重な画像が堀越和正氏により鮮明に記録されています。川崎様よりお借りした画像をご覧 頂きたいと思います。 |
マロ391 |
昭和36年1月16日 久里浜 堀越和正氏撮影 |
昭和35年7月1日より3等級制が廃止されマイからマロになった嘗てのマイ381 151系による《つばめ・はと》には到底勝てるわけも無く、客レのつばめ はとが廃止された僅か 8ヵ月後の画像です。あわれにもこのあと廃車、解体されたことと思います。 |
マイ382の車内 |
昭和35年5月 東京駅 堀越和正氏撮影 |
この画像を見て興奮したのは私だけではないと思います。 マイ38は供奉車300、301からの改造ですが、元々1等車仕様で作られていたと聞いてました。 その車内についてはどこを探しても見当たらず長年の謎でした。 この椅子が回転するのかどうかは分かりませんが、まさに当時の1等車に相応しい風格の車内です。 天井を見ると冷房装置の噴出し口が見え、扇風機が無く、蛍光灯が装備されています。 シートカバーが付いているところを見ると出発前の特急 はと と思われます。時間は12:30前 陽気のいい5月。外人観光客を乗せ京都へ向かったのでしょうか? 川崎様よりご指摘を頂きまして、なんと一人用の椅子は回転するそうです。 そうです、クロ151のパーラーカーの椅子と同じ具合にリクライニングし、回転したのです。 |
マイテ582+マイ382 |
昭和35年5月20日(金) 大阪駅 mo-yan様撮影 |
これを《偶然》と言うのでしょうか、堀越様の撮影されたマイ382の車内画像が5月の何日?かは分かり ませんが、いくら増結車と言えそうそう出動したとも思えません。mo-yan様の撮影されたこの画像は5月 20日の上りの特急 はと。 以下は勝手な想像ですが5月19日に東海道を下ってきたはとに繋がれた マイ382は翌日の5月20日に上りの はとで東京に向かった。 したがいまして、堀越様の撮影されたマイ382の車内は5月19日(木) 果たして推測は当たっているでしょうか? |
私の推測はちょっと外れました。 川崎様よりのご教示で、マイ38の車内の画像は5月22日(日)と言うことが分かりました。 と言う事は、mo-yan様が大阪駅で撮影された《はと》は20日に東京へ上り、品川客車区で一旦編成 より解かれ一泊、翌々日の22日に再び《はと》に編入され大阪へ向かったのです。 |
準備中 |
スハ44、オシ17、ナロ10、スロ54 |
画像をお持ちの方ご協力お願いいたします。 |