1列車 特別急行 つばめ の停車駅(時刻)と編成

停車駅と停車時刻は下記のようになっていました




とうきよう









はままつ


なごや



きょうと おおさか
9:00 9:25 10:46 12:30 13:55 14:20 15:54 16:30


昭和31年11月19日改正



マイテ39 スロ54 スロ54 スロ54 オシ17 スロ54 スロ54 スハ44 スハ44 スハ44 スハ44 スハニ35 EF58


1,2等車が6両、3等車が5両という豪華編成。最後を飾る車両はもちろん展望車です。




駅名表を見ていると昔懐かしい名産品が思い浮かびます。

横浜はもちろん《シュウマイ・シュウマイ弁当》。沼津の《鯛めし》。浜松はうなぎ と言いたいところですが私の記憶の中で
浜松といえば《ハーモニカ娘》です。乗務員交代で5分間停車、その間にハーモニカを売る女性がおり、《ハーモニカ娘》
と呼ばれていました。

名古屋と言えば《ウイロウ》、岐阜は祖父の田舎が在ったのですが名産品の記憶は無く、岐阜と言えば《岐阜ちょうちん》を
思い浮かべます。まさか駅でちょうちんを売ってるわけも無く・・・


浜松駅のハーモニカ娘


機関車はおろか12両編成の客車を一夜にして目の覚めるようなうす緑色に塗り替え
東海道を走る特急つばめ
昭和35年5月20日 大阪駅 mo-yan様撮影
(EF58の次位に注目! ナロ10が連結されています)
庶民が普通は到底利用しなかった特急 つばめに私の母がたった1回ですが乗車したことがあります。

昭和33年の夏、私が名古屋の叔母の家へ遊びに行ったときに自家中毒症になり緊急入院。
それを聞いた母が当時最速だった《つばめ》に乗って駆けつけてきました。
9:25横浜駅乗車、13:55名古屋到着 そこからは叔父の車で30分 病院到着 14:30

私の顔を見て安心した母の顔とかはあまり記憶に残ってないのですが、母が《つばめ》に乗ってきた
ことはそれ以後も何度も聞かされました。
当時としては余程《つばめ》が想像以上の存在だったことが偲ばれるます。


回復して横浜へ帰る母と私が乗った列車と言えば勿論《つばめ》ではなく、準急 東海でした。
あ〜つばめに乗りたかった〜





ヘッドマークが良く似合うEF58
昭和35年5月20日 大阪駅 mo-yan様撮影


この青大将のEF58を模したOゲージ自由形のEB58で良く遊んだのは私だけでないではないですね?



大宮工場所蔵のレプリカのヘッドマーク
本物とぜんぜん違うような気がします


スハニ35以下12両を従えて走るEF58
昭和35年5月31日 大阪駅 mo-yan様撮影



東海道本線全線電化記念 ヘッドマーク
交通博物館所蔵




青大将化後 つばめ はと に使用された車両は下記のとおりです

つばめ用車両  大ミハ所属
展望車 マイテ391  マイテ3921  マイテ491
2等車

スロ5414〜21 33〜38  順次ナロ10を導入

3等車 スハ441〜13
食堂車 オシ171〜2  マシ3511
ハニ スハニ351〜3
機関車 EF58 89 58 37 47 95 41 52 70 90 99 46 86 100 140


はと用車両  東シナ所属
展望車 マイテ581 マイテ582 マイテ492
1等車

マイ381〜2

2等車

スロ54 12 13 31 32 39〜47 順次ナロ10を導入

3等車 スハ4414 15 19〜28
食堂車 オシ173 4 マシ3512
ハニ スハニ354〜6
機関車 EF5857 55 45 38 44 68 49 63 64 59 66 



大宮工場に保存されているEF58
平成17年5月 大宮総合車両センター
上の表から分かるように、93号機は青大将にはなってませんでした。唯一青大将化した89号機は
平成19年開館の鉄道博物館に収蔵される予定です。





マイテ3921とスロ5412






以下準備中



   

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