たーサンの世界 |
その5 我が憧憬の特急 つばめ |
特急 つばめ への憧れは誰にも負けないくらい強いものを持っています。 しかし、この『憧れ』というものは時として対象を美化してしまいます。 私が見た客車特急のつばめは5〜6歳の時のものであり、歳とともに記憶が徐々に霞んできているため半ば美化されつつあるかもしれません。今回は私の頭の中の美化された[つばめ]を払拭するほど美しい姿をご覧頂きます。 たーサンの世界も今回で5回目を向かえいよいよ佳境に入ります。以前ご紹介しました全線電化より以前の、蒸気機関車が牽いていた頃の大阪駅を中心とした姿を篤とご覧頂きたいと思います。 |
発車数分前の晴れ晴れとした姿のC6216 |
昭和31年9月9日 大阪駅 2レ |
昭和31年 9月9日 大阪駅 2レ |
宮原から回送されてきた2レの大阪駅での停車時間は僅かです。その僅かな時間、線路を右往左往して撮影するたーサンは恋人を追いかけるような気持ちであったことでしょう。 |
ドラフト音高々に出発する特急つばめ |
昭和31年9月9日 9:00 大阪駅 2レ |
摂津富田の特急 つばめ |
お気に入りの撮影地、一度気に入ると何度も通いつめる場所があります。 我らがたーサンも50年前はお得意の摂津富田に通いつめたようです。 前回の80系撮影もここで撮影されています。一直線を豪快に走ってくるC62が牽引する特急つばめの迫力は新幹線の比ではなかったことでしょう。 |
薄暮の中、大阪を目指す特急 つばめ |
昭和30年11月 摂津富田 1レ C6236 |
大阪到着まであと20Km弱、11月の日没は17:00前、当時のカメラの性能から考えるとよくこの雄姿を捉えたことと思います。たーサンの撮影執念に拍手。下記のお写真は先のお写真の後追い。マイテ3921です。(残念ながらネガが無いので紙スキャンです)紙スキャン |
1レ通過後たーサンはどのように思ったのでしょう。撮影に成功し『やった〜』とひとり小躍り、若しくは過ぎ去っていく1レをどこまでも慈しむように見送る。特急 つばめ は撮影者の思いなど知る由も無く非情にも大阪を目指します。 |
速すぎる特急 つばめ |
昭和30年4月5日 摂津富田 2レ |
限られた機材での撮影では『つばめ』のスピードは速すぎます。パーレットカメラではシャッタースピードはせいぜい1/100、これで迫り来る高速列車を撮影するのは不可能に近かったことでしょう。 たーサンのお写真、ピンとはずれてますが決して恥じることの無い記録写真です。 |
3枚の組写真 |
さてお次は緩行線車内から身を乗り出し特急つばめに追抜かれるシーンを撮影された組み写真です。 大阪駅を8:54に出発した緩行線電車。『そろそろここらで抜かれるだろう』と高槻駅に近づいたところでやおら身を乗り出しカメラを構える若かりし日のたーサン。撮影に熱が入った情景が浮かんでくるようです。 直線なのでかなりのスピードで走っていたのでしょう。このスピードではオートフォーカスなんて未だ無かったころですからピントなど合うはずがありません。しかしこの3枚のお写真は迫力ある特急 つばめ の姿をうまく表現されている貴重なお写真だと思います。 しっかりとマイテ49も撮影されているのも凄い。マイテ49が通過中の高槻駅はホーム建設中だったそうです。 これも大変貴重な記録写真です。 |
昭和30年7月23日 高槻〜摂津富田 |
たーサンより頂いたメールを抜粋したのが下記の文章です。この3枚のお写真を撮影された時の興奮状態が手に取るように分かります。 |
・・・・これより少し前に阪急京都線の車窓から、高槻を出て築堤にかかったところでつばめが緩行線の電車を追い抜く光景を見たので、この撮影を思いついたのです。
(この阪急京都線の電車は、天神橋六丁目ターミナルを9時01分に発車していた京都行―当時は四条大宮行のノンストップ特急でした。デイ100二連)
時刻表で調べて8時54分発 (多分) であれば摂津富田あたりで追いつかれるだろうと踏んで乗ったのです。
窓から首を出すと雨粒がたたきつけるわ、電車の轟音は凄いわ、激しく揺れるわ、もちろんカメラも揺れるし、そこへC62がドドドッと地響きをたてるように追い縋ってくると、
もうたまりません、夢中でシャッターを切ってしまいました。
もうちょっと引き寄せて撮れば良いのに、、、、と今となっては悔やみますが、一旦シャッターを切った後は、迫ってくるつばめを見ていると蛇に睨まれた蛙の如く、なすすべも無く、ただもうドキドキしつつ、手の届くようなところをゆっくりと追い抜いていく編成を見送るばかりでした。
高槻駅にかかったところで辛うじて気を取り直し、マイテの後姿を撮りました。
と、これを書いていて当時の興奮した気分が蘇るようであります。・・・・・
たーサン凄すぎです 感無量〜〜 |
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今回ご紹介させていただいお写真の最後を飾るのはやはり展望車です。2レ特急つばめが京都に到着したところ、展望車のマイテ3921のデッキ付近には賓客を見送ると思われる大勢の人が集まっています。 形式写真としての展望車の姿は数多く撮影されていますが、このように当時の有様を克明に記されたお写真は大変貴重なものと思います。 |
昭和31年4月29日 京都 |
展望デッキ付近に集まる人々 |
ハットを被った紳士が賓客なのでしょうか。駅長・車掌・ボーイ長、さらには大きな手土産を持った付き人まで。展望車という車両がいかに特別な存在であったかを目の当たりに出来る貴重なお写真。博物館ものどから手が出るほどのものかと思います。 |
たーサンの世界の5回目、今回で一応はお開きとさせていただきます。数は少ないですが貴重なお写真の数々に堪能いただけたことと思います。 〔お開き〕とはいうものの、まだまだ続きがあるような気がするのは私だけでしょうか。ひょっとしたらたーサンのアルバムにはもっともっとお宝画像が隠されているかも知れませんね。 |