たーサンの世界


その4 大阪駅今昔と時代を飾った車両たち


優等列車の陰で活躍しているのが関西で元気に走っていた国電です。阪急・阪神というライバルと鎬を削る競争は戦前から有名だったようですね。
今回は大阪駅を中心として活躍していた国電と特急の陰に隠れていた蒸気機関車に注目してみたいと思います。
あわせて大阪駅の今昔にもスポットを当ててみました。



夏休み真っ盛り、須磨海岸からの海水浴帰りでしょうか白い洋服姿の親子が目立ちます。
昭和32年8月5日 大阪駅 
鉄道史に詳しいフナさんにこの写真の解説をしていただきました。

1両目は3扉ロングシートのクモハ41がクロスシート改造を経て51系に編入されたモハ51型、2両目は同じ経緯をたどってクハ55→クハ68となったノーシル・ノーヘッダー車と推察します。
このグループはシートピッチと窓割が合っていないはずで、窓開けが少々厄介だったのではないでしょうか。



上記の写真の先頭車両、モハ51が鮮明に記録されました




クハ68を先頭にした緩行線
昭和32年8月5日 大阪駅
52年後の大阪駅
平成22年1月10日 大阪駅6番線ホーム
50年の歳月を経て何もかも変わってしまった大阪駅、線路はおろか周辺の風景は昔日の面影を全く残さず変貌しています。




湘南色となった80系
昭和32年8月5日 大阪駅
関西の80系はマルーンとクリームのツートンカラー、昭和31年の東海道本線全線電化頃より順次湘南色になったようです。
これを裏付ける記述として幣板の〔青大将登場物語〕に執筆を頂きました坂本 衛様の証言があります。


その頃、私は岸辺駅駅手として勤務し、駅を通過する旅客列車や吹田操車場に出入りする貨物列車の機関車が、次第に蒸気から電機に変るのに目を見張ったものでした。またそれまでは急行電車(現・快速電車)に使用されていた湘南モハ80系が、関西色から関東と同じグリーンとオレンジ色に変るのを見て、大阪が東京に一歩近づいた気がしました。



53年後の大阪駅6番線ホーム
平成22年1月10日 大阪駅6番線ホーム



関西色の80系 急行電車
昭和30年3月3日 大阪駅6番線ホーム


急行北陸を牽引するC59124(大阪発 上野行き)
昭和29年9月12日 大阪駅11番線
124号機はこの直後に九州へ転属となりました。しかも門鉄デフに改造されたと聞くとたーサン撮影のこの画像はかなり貴重な画像となります




梅田貨物ヤードで(国道176号線より)
昭和30年7月2日
今回は時間が無く撮影不可でしたのでgoogleよりお借りしました。架線、車両、風景と大きく変貌しているのがわかります。



今度は場所を大阪より東へ移し摂津富田へ

当時は関西色の80系急行
撮影場所はたーサンより〔摂津富田〕と聞いてました。このお写真を撮り鉄仲間にお見せしたところ、左側の白い建物が明治製菓の大阪工場と特定されるツワモノがおられました。
いやはやこの推理には驚きます。
現在の摂津富田付近の地図をご覧ください。 

JRと並行して阪急京都線が走ってます。阪急と特急つばめの競争は有名なお話です。
たーサンの大好きな阪急電車のお話はまた別の機会に・・・・   



D6219
昭和30年 摂津富田付近
たーサンが撮影された3年後の昭和33年、姫路電化に伴い20両あるD62は休車となる。後に一関機関区に配属され陸奥の兵として活躍した話は有名ですね。

私が東北を訪問した昭和43年春、時既に遅し、D62は全車廃車されておりついに豪快な姿を拝むことが出来ませんでした。



さらに場所を東へ移動し京都駅

特急牽引機のC624、梅小路から回送されてきたのでしょうか
昭和31年4月29日 京都駅 上り26レより撮影
たーサンの世界も今回で4回目、いよいよ大詰めとなったところで国鉄シリーズ最終回として次回は特急つばめを牽いたC62の雄姿をご覧頂く予定です。

鮮明に撮影されて姿は永久保存版として、博物館入りしたいお写真です。併せて京都駅で撮影されたマイテ3921の姿もご覧頂く予定としております。請うご期待!


  

inserted by FC2 system