たーサンの世界 |
その3 特急 かもめ 大阪駅での勇姿 |
列車の愛称名の変遷を辿るとどうやら東から西へ行く習性(?)が あるようです。戦前より活躍した〔つばめ〕はダイヤ改正のたびに 西へ西へと飛んで行き、今では九州新幹線として鹿児島まで足を伸ば しているようです。 北海道へ飛んで行った〔おおとり〕のように例外もありますが・・・・ 特急 かもめ も例外ではありません。戦前は東京〜神戸間を展望車を 連結して〔つばめ〕より20分余り足は遅かったですが東海道の花形として 活躍していました。 戦後〔かもめ〕は西へ飛び、昭和28年 京都〜博多間を走る特急列車. として再登場しました。 |
今回もたーサンの撮影されたお写真を拝借させていただき、戦後復活した 特急 かもめ の大阪駅での雄姿をご覧頂きます。 |
昭和31年9月9日 9:10 大阪駅 |
大阪駅をまさに出発しようとする特急 かもめ の勇姿です。 この時代の編成はスハニ35を先頭にスハ44〜3両、マシ49、スロ54〜3両、最後尾にスハフ43の9両編成です。 昭和32年6月5日からは博多での三角線での方向転換を簡略のためオハニ36、ナハ11の固定座席車両に変更されています。 ここでは編成についての詳しい解説については言及せず、機関車に注目します。 C62は全部で49両作られていますが、たーサンの撮影された4号機は49両ある車両のうちの廃車第一号となった記念すべき?車両です。 昭和33年8月、岩国市内の踏み切りで連合国進駐軍のトレーラーと衝突事故を起こし機関車が大破する事故が起きました。 本来でしたら大修理をするはずでしたが、山陽本線の電化も進みC62も余剰気味になったことから廃車が決定となったとの事です。 たーサンが大阪駅で撮影した2年後、4号機はお陀仏となったわけです。 このような経緯があり4号機の写真は多く残されていません。 たーサンの撮影された4号機は〔かもめ〕を牽引しており数少ない4号機の写真の中では貴重品と言えるお写真と思います。 |
手書きのような 〔かもめ〕の文字 |
最後尾は展望車ではなくスハフ43 |
たーサンのお写真を拝見しているうちに、〔撮影パターン〕が分かってきました。 〔たーサンの世界 その1〕では東海道本線全線電化前夜、そして〔その2〕では電化当日、つまりたーサンは鉄道史の記念すべき日を捉えていたのです。 次にご覧頂きますお写真も鉄道史に残る記念すべき日に撮影されたものです。 |
東海道線摂津富田駅を通過する特急 かもめ |
昭和33年4月9日 8:52 摂津富田 |
このお写真についてたーさんは撮影日を失念されていたそうです。それもそうです、50年以上も前に撮影した日を覚えている方が不思議です。 しかし、たーサンよりヒントを頂きました。撮影された翌日からC62に代わり機関車がEF58になったと言う記憶が残っていたのです。 鉄道史を紐解くと山陽本線姫路電化が浮かび上がってきました。 姫路まで電化されたのは昭和33年4月10日、この日より京都〜姫路間はEF58が牽引するようになっています。客車の編成を見ると最後尾はナハフ11となっているので時代的に見ても間違いはありません。 僅かなヒントで撮影年月日を特定するという作業は愉快なものですね。 おまけに撮影時間は8:52ということも付け加えておきます。 |
京都〜大阪間の表定速度64.2Kmで疾駆する 特急 かもめ |
昭和32年6月5日より最後尾はナハフ11に変更 |
今回で3回目を向かえたたーサンの世界 長い鉄道史の中の出来事から考えると小さなことかもしれませんが、一時代のピリオドを打つ瞬間を捉えた貴重なお写真の数々。博物館に展示しても決しておかしくない作品は我々の宝物として永久に保存していきたいと思います。 |