たーサンの世界



その2  東海道本線全線電化開業当日


昭和31年11月19日月曜日 極秘裏に進められていた全線電化開通の処女列車、機関車から客車まで全てが淡緑5号色に塗装された優美な姿は東京発、大阪発と場所こそ違うが、そこに居合わせた全ての人々を驚嘆させました。

東京駅で1列車、大阪駅で2列車の出発式も華々しく行われ無事夫々の目的地を目指します。


鉄道博物館所蔵 mo-yan様提供



全線電化による青大将に纏わる話は既述のためここでは割愛します。
詳細は青大将登場物語を参照ください。

今回ご覧頂くお写真は一枚のピンボケ写真です。

〔ピンボケ〕と失礼な言葉を使い恐縮しますが、このお写真はただの
ピンボケではありません。

このような貴重な写真が世の中に存在しているとは知りませんでした。

報道陣を含め、鉄道ファンの殆どは東京・大阪駅の出発式に目が
行っていたと思います。そのなかで我らがたーサンは大阪駅へ回送中の
処女列車を撮影していたのです。



ここで三角線のおさらいです。大阪駅に到着した1レは塚口駅へ向け走ります。(緑線)
塚口で折り返し尼崎を経由して宮原へ帰り翌日の2レとして一休み。
あくる朝、大阪へ向けて回送(赤線)

東京口の三角線はその日に反転が終了しますが、大阪口では翌日に反転が終了。



さて、話が大変長くなりました。昭和31年11月19日月曜日、
たーサンは学校付近の線路際で2レ回送の通過を待ちました。

出発式の模様を大阪駅で撮影したかったでしょうが、月曜日という
こともありたーサンは通学途中の線路際で回送を撮影されました。

しかし、この日が月曜日であったことが幸い。
日曜日であればたーサンも大阪駅へ行かれたことでしょう。
大阪駅へ行かれていればこのお写真は存在しません。



記念のヘッドマークを付けた2レつばめ回送
昭和31年11月19日(月) 8:48AM頃 大阪駅西方



写真を拡大すると目に付くのがヘッドマークですが、それより私の目を引いたのは客車の屋根です。
青大将仕様の客車の屋根は全て銀色に塗られてます。このお写真ではその様子がはっきりと分かり
尚且つずらりと並んだベンチレーターが光り輝いて見えます。


この模様を撮影したたーサンは撮影地をあとにして学校へ向かわれてますが、恐らく興奮して勉強に
ならなかったことでしょう。


記念式典を慌しく済ませた2レ 特急 つばめ は9:00丁度、大阪駅をあとにし一路東京を目指します。
そして、この10分後、岸辺駅を通過した際、当時駅手であった坂本 衛氏がこの列車の通過を目の当
たりにしました。この様子は青大将登場物語に記した通りです。



たった一回しか使わなかったヘッドマーク
やぶおさんご提供 大阪交通科学博物館所蔵
国鉄職員以外でこのヘッドマークを日本ではじめて見たのは他ならぬたーサンかもしれません



全線電化から6日目の1レ ピカピカのヘッドマークに注目
昭和31年11月24日 16:30 大阪駅
鉄道画報7号の関 崇博氏著の「青大将スペシャル」の記述によると11月24日の1レ牽引機は番号不明の茶色のEF58となっています。
ところがたーサンの記録では11月24日となっていました。関氏は何を元に茶色の機関車と書かれたのでしょうか。

11月24日は土曜日、授業が半ドンだったたーサンは16:30到着の1レを撮影することが出来ます。推測に少々無理が有るかもしれませんが、少なくとも真面目な高校生であったたーサンは平日に大阪駅へは行かず、土曜日の午後の自由な時間におおっぴらに大阪駅へ行ったことと思います。

そういうわけで、このお写真、たーサンの記録では11月24日? とクエスチョンマークが付いてますが、私は間違いなくこのお写真は11月24日(土)に撮影されたものと断定します。



昭和31年11月24日 16:30 大阪駅



昭和31年11月?日


たーサンの撮影された青大将のお写真はそれ程多くはありません。

しかし、歴史の転換点を見事に捉えた貴重な画像を後世に伝えて

行きたいと思います。



  

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