昭和の面影2


Mr. Sato’s collection


※ 掲載している画像はすべて佐藤 健様の許可を頂き拝借しているものです。転載等は硬くお断り申し上げます。



                       その2 総天然色の世界


昭和47年当時のカラー写真のプリント代は50円前後だったと思います。当時の物価 国鉄初乗り運賃30円 ラーメン〜180円 
今の物価と比較すると約4分の一。50円のプリントがいかに高価だったかがわかります。
当時中学生だった佐藤が少年お小遣いを貯めて捕らえた貴重なカラー映像をご覧ください。

登別を発車するD51(4483レ)
昭和47年3月下旬
D51の車番は分かりませんが力強い発車シーンです。今で言う《爆煙》 重厚な汽笛が聞こえてきそうです。



室蘭本線社台駅に到着する227レを牽くC57144
昭和47年3月下旬
135号機と共に岩見沢第一機関区所属の144号機。岩見沢市みなみ公園に現存しているそうです。



弘前機関区(48640)
昭和47年頃8月上旬
ハチロクの魅力は何といっても汽笛です。



一路西鹿児島を目指す特急はやぶさ 20系編成
昭和46年頃 鶴見川橋梁
貴重なカラーフィルムでの流し撮り。 私も何度かやりました。でも失敗が多くお小遣いが気になりカラーでの
流し撮りでジャストピントの映像は残っていません。あえて挑戦する佐藤少年に拍手です。



急行 東海号
昭和46年頃 鶴見川橋梁
私が撮影した相模川橋梁もそうですが、黄金期の東海道本線は優等列車のオンパレード、
次々と通過する特急、急行・・・・贅沢な話ですが仕舞いには飽きてくる始末。

というより、フィルム代が惜しくてそんなに写せません。デジカメ時代の今の中学生が羨ましいですね。



クモユニ74
昭和46年頃 鶴見川橋梁
輸送手段の変遷を物語るクモユニ、必ず連結されていました。



   
inserted by FC2 system