マイテ3911について
****マイテ3911に思いを込めて*****
これが私の原点です とっきゅう つばめの てんぼうしゃ マイテ39の展望デッキからD62に手をふる子供達 |
昭和29年ごろ発刊された絵本の一ページです。 この絵本を祖父が私に買い与え、まだ字の読めない 私に読んで聞かせてくれた《とっきゅう つばめの てんぼうしゃ》です。 これを毎日のように飽きもせず見ていた私の頭の中は、いつしか《とっきゅう つばめの てんぼうしゃ》と ぐるぐる回るようになりました。 当時2歳ほどだった私には、展望車が何であるかなどはさっぱり分からず、ただ念仏のように唱えているだけ でした。後年、祖父に連れられて東京へ行くとき、横浜駅で見た青大将が鮮烈に脳裏に叩き込まれ、はじめて 展望車なるものが分かった次第です。 |
マイテ39の略歴 | |
1930年(昭和5年) | スイテ37010、37011として大井工場にて2両製作 内装は桃山式 |
1937年(昭和12年) | スイテ37010(後のマイテ391)が岡山駅に停車中、後続のC51牽引の 普通列車に追突され展望室が大破。 C51はスイテ37010の展望室に大きくめり込む凄まじい事故となる。 ちなみにC51のテンダー部分は牽引していた木造車のナハフ24233に めり込む、ナハフ24233も大破。多数の死傷者が出たとのこと。 |
1941年(昭和16年) | マイテ39に改称 同時に戦時につき使用中止に |
1949年(昭和24年) | 戦災を受け損傷の激しかったマイテ391はその内装を マイテ392に譲り洋式内装に、マイテ392は11に改称(桃山様式)、 スイテ38を改造しマイテ3921に(洋式内装)。これでマイテ39は3両になる (3両共進駐軍の接収は免れる) |
1956年(昭和31年) | 東海道本線全線電化に伴いマイテ391、21が淡緑5号(青大将)に 塗装変更。マイテ3911は予備車として車体色変更なし |
1960年(昭和35年) | 151系電車特急登場に伴い、5月31日にて定期運用から離脱 |
2007年(平成19年) | マイテ391、マイテ3921は廃車解体 マイテ3911は長年に渡り青梅鉄道公園展示されていたが、 手入れ不行き届きで内外装共に荒廃。大井工場に引き取られ 外装は復元されるも内装は一部を残し撤去される。 鉄道博物館展示に伴い内装が美しい桃山式に復元される。 |
桃山様式の豪華な内装のマイテ3911 | |
戦後の修復作業中 | 引退後 |
世界の鉄道より | 鉄道公園で販売されていた絵葉書 |
左の写真は戦後 特急 平和 復活にあたり、荒廃していた内装を復元作業中の 写真です。 右は電車特急登場に伴い東海道本線から客車特急が消滅引退、青梅鉄道公園に 展示されていた当時のマイテ3911の内装です。 復元作業後、僅か11年余りでお役ご免になりました。 そして時を経て2007年10月 鉄道博物館に完全復活し展示されることになりました。 |
マイテ3911考察 |
昭和31年11月19日に東海道本線が全線電化され、それを機に客車特急が所謂 青大将に塗り替えられたことは広く知られていますが、不思議なのはマイテ3911が 予備車として青大将色に塗られなかったことです。 一説には《仏壇・霊柩車》と陰口をたたかれ、嫌われていたと聞きますが果たして 本当に顧客がそのように思い、国鉄に対してクレームを言っていたのでしょうか。 私見ですが全く違う見方をすれば・・・・ 淡緑5号の外装に金ぴかの内装はどう見ても似合わない。 ただそれだけの理由としか考えられません。 想像してみてください。二条城の御殿の外壁が緑色のペンキに塗られた姿を・・・・・ 確かにマイテ3911の内装は仏壇のように金ぴかですが、仏壇は桃山式を踏襲した だけです。あの豪華な内装を見て嫌う人が本当にいたのでしょうか。 いたとしたら西洋かぶれ、見栄っ張りの芸能人か政治家でしょうか。 外人観光客は乗車してみて《ワンダフル〜》と感嘆の声を上げたのは間違いないでしょう。 また世襲ではなく1代で代議士になった先生方や苦労して財を成した人たちも豪華な 展望車に乗って自分の地位を改めて実感したことと思います。 どうみても《白木屋式》の洋風な内装よりも手がかかっており豪華に見えますが・・・・ こんな空想ですが私のマイテ3911考は間違っているでしょうか 皆様のご意見を頂戴できたらと思います。こちらへ 鉄道博物館で見た桃山様式の金ぴかの室内は御殿のようです。 白黒写真や色あせたカラー写真で見ると確かに仏壇・霊柩車のようですが・・・・ |
ここでマイテ3911の変遷画像をご覧下さい
特急 へいわ その最後尾を飾る復旧間もないマイテ3911 |
東海道本線尾張一宮付近 |
昭和24年10月 権田 純朗氏撮影 |
昭和25年1月1日より特急《へいわ》から《つばめ》に改称される |
昭和25年9月10日 O様撮影(千里丘) |
昭和31年11月19日以降 予備車として《つばめ・はと》の運用から外れる |
EF58ものがたり 山本 定佑氏撮影 1960年4月23日 |
写真はネパール国王来日の際の国賓専用列車の回送シーン。 ロイヤルエンジンのEF5861の次位にマイテ3911の姿が見えます。 マイテ3911はこのような賓客の際に使用されたり、多客時の特急さくら に付随して 地味な活動をしていたようですね。 |
青梅鉄道公園時代のマイテ3911 | |
747−400様撮影 | |
昭和35年5月31日をもってお役ご免になった展望車。 2等級制に伴いマイテ3911はマロテ3911と改称。その後団体列車 などに使用さてましたがついに廃車となりました。 晴海の鉄道博覧会に展示され、後に青梅の鉄道公園に保存されました。 鉄道公園時代のマイテ3911をご覧になった方は多いかと思います。 残念なことに長年雨ざらしとなっていたため、内外とも荒廃し天井に穴が 開き、床は底が抜ける始末となりました。 |
東京総合車両センター(JR大井工場)時代のマイテ3911 |
04-08-23 管理人撮影 |
暫くの間鉄道から遠ざかっており、展望車の存在さえ忘れていた時に 大井工場を訪問。およそ50年近くも前に見た展望車に再開した時は 鳥肌がたちました。 外観は見事に復活していましたが、内装は欄間の格子が残されている だけで、桃山式の内装はもぬけの空となっていました。 |
晴れて永久静態保存となり博物館入りしたマイテ3911 |
07−10−19 管理人撮影 |
夜間、眩いばかりの豪華な光を放ち東海道・山陽本線を走っていた姿は まるでお殿様を載せた輿が、スピードを得てお城へ急ぐ姿の様だったこと でしょう。 |