当時のサラリーマンの初任給が1万円程度と聞いているので、
特急料金の800円はかなりの出費だったと思います。
画像は6号車なのでサロ151?
3本線の特急券。 少し禿げてますが、よくぞ50年近くもこの状態で
残っているものと我ながら感心しています。

151系    

特急こだま 特急つばめ の思い出 








もう50年近くも昔の話。初めて乗った特急 こだまのお話です。



母方の実家が兵庫県の姫路市。毎年8月のお盆に帰省していましたが、この年はなぜかお正月(小正月)も帰省しました。
昭和35年1月といえば、まだ客車特急の「つばめ」 「はと」」が健在だった頃です。



横浜から母と二人で乗ったのは東京寄りの11号車。まだ、パーラーカーが登場する前の編成です。




クハ151 モハ151 モハシ150 モロ150 モロ150 サロ151 サロ151 サハ150 サハ150 モハシ150 モハ151 クハ151


乗った早々事件が起こりました!

特急こだまは 東京駅を出発すると、横浜、名古屋、京都、大阪しか停車しません。
新幹線並みの停車数です。

停車時間は30秒。 見ず知らずの人ですが、親と見られる人の荷物を網棚に乗せ、「それじゃ気をつけて!」と
言ったかどうかは覚えていませんが、外を見ると人がどんどん後ろに飛んでいく。
そう、こだまは既に発車していたのです。お見送りの人は名古屋まで乗っていく羽目になりました。


その後の顛末は幼稚園児の私が知る由も有りません。 でも、この事件は強烈に印象が残っています。


交通博物館に保存してあった「こだま」のヘッドマーク




横浜を出発した第1こだまは順調に走り、無事に大阪へ到着。
その後、何に乗り換えて姫路まで行ったのかは皆目見当が付きません。

それより、青大将の「つばめ」 「はと」がまだ走っていたのに、母親はなぜ「こだま」を選んだのか未だに謎です。
私の人生で唯一悔やまれるのが、母親の電車特急の選択です。


かすかな記憶ですが、こだまの後に東京を出たと思われる「特急 ひびき」を大阪駅で見たのを覚えています。


ひびき型?の157系 急行伊豆




      

inserted by FC2 system