C62と つばめ はと

私が見たC62は東海道本線からは既に引退し、北は北海道、西は呉線へ転属後の姿でした。

呉線の平坦な線路は巨大なC62では力を持て余している感がありました。
しかし、函館本線で見た急行 ニセコは往年の東海道本線で特急 つばめ を牽引していた当時を彷彿とさせる力強い姿でした。

                                                                                
私が昭和41年に最初に見たC62から逆上ること12年。お二人の青年が大阪駅でつばめ はと という日本を代表する看板列車を牽引するC62の雄姿を撮影されていました。

このたびその貴重なお写真をお借りしましたので皆様にご覧いただければと思い一ページを作らせていただきました。              


画像は午前9時 大阪駅をまさに発車せんとする2レ。
牽引するのはC62の1号機です。
撮影されたのは桝野様。いつもお世話になっているたーサンの中学校以来のご友人です。しかも桝野様の隣にはたーサンもカメラを構えていました。

11月も半ば過ぎという肌寒い時期、ドレーンを一杯に吐き出し大サービスですが肝心の機関車がうっすら隠れてしまってます。
しかしながら力強いC62の発車シーンが手に取るように感じられる貴重なお写真です
     
2レ 特急 つばめ
昭和29年11月16日 大阪駅 桝野様撮影




続いてのお写真はつばめを撮影された数日後の同じ場所、今度は4レ特急 はとの出発前の風景です。

宮原で十分な給水をとってきたにもかかわらず、大阪駅でも給水しています。それを見守る紳士が印象的です。

右側に見える工場の煙突。場所から推測すると現在はヨドバシカメラのビルが建っている付近かと思われます。
撮影されてから50年以上も経た現在で、大阪駅は大きく変貌していることでしょう。
4レ 特急 はと
昭和29年11月 大阪駅 桝野様撮影




なんとこの時、桝野様は展望車も撮影されていました。
トレンチコートを着た男性が写っていますが、背丈から考えます
と外国人のように見えます。展望デッキに立ち見送られた後、
室内へ入っていくように思えるシーンです。
マイテ391
昭和29年11月16日 大阪駅 桝野様撮影



桝野様は 特急はとの展望車も撮影されていました。
展望デッキには親子3人が立っていますがよほど裕福な家庭だ
ったのでしょう。現在の価値に換算すると3人の東京までの
料金はざっと35万円程度になります。

この親子は発車して間もなくボーイさんに案内され食堂車へ行
ったことと思います。
マシ35ではもちろんビーフステーキを注文したのでしょうね。
マイテ58
昭和29年11月 大阪駅 桝野様撮影


桝野様にはお断りして無いのですが、マイテ58を見送る方がホームに
いるように見えます。
しかし、経年変化によるものでしょうか、ホームの様子が良くわかり
ません。
そこでパソコンのレタッチを駆使してホームの様子を探ってみました。

するとどうでしょう、ホームには大勢の見送りの方が見えるように
なりました。また件の親子の後ろには外国人と思われる背丈の方が見え
ます。
パソコンによる修正後
昭和29年11月 大阪駅 桝野様撮影
余談となりますが、このお写真を撮られたのは発車して1秒程度
経過しているように思われます。
理由は? 展望デッキへ上がる前のマットがデッキからズレて
いるから?? 考えすぎでしょうか???


このページを作成するに当たりたーサンより次のようなメッセージをいただきました。



C62の発車時の緊張と興奮は今もはっきりと覚えています。

「10番線から特別急行つばめ号、
東京行が発車します」とのアナウンスに

つづいてホーム先端の発車ブザーがビーと鳴ると機関士と機関助士が同時に

「発車!」の喚呼、そして腹の底に堪える汽笛、、、、、
 
静々とホームを離れていく客車の列、、、、最後の展望車の独特のジョイン

ト音が遠ざかって
行ってはじめて我に返る、、、、もはや帰らぬ豪華な夢で

すね。



いかがでしたでしょうか。桝野様の貴重なC621号機の雄姿と優雅な展望車。
私はこの15年後、北海道でつばめを牽引していたC62に出会うことが出来
ました。1号機こそ見ませんでしたが、C62のジェット機を思わせるような豪快
なブラスト音は永遠に耳から離れないことでしょう。


C6232+C622
昭和44年3月 目名〜上目名 急行 ニセコ



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