美唄鉄道


北海道美唄市には嘗て美唄炭鉱と国鉄函館本線美唄駅を結ぶ鉄道が走ってました。時代の流れによる石炭需要の減少により炭鉱も閉鎖され、時を同じくして昭和47年5月末には鉄道も廃止されました。
私が美唄鉄道を訪問したのは昭和44年4月、高校に進学する直前の春休みを利用しての撮影旅行でした。
この3年後には美唄鉄道が廃止されたということは随分後になってから知りました。わずか数年で廃止されるとは訪問当時は夢にも思いませんでした。美唄鉄道に当時の国鉄では見られない大型タンクも在籍してました。国鉄で言うE型蒸気機関車を見た時の印象は今でも強くまぶたに焼き付けられてます。

すでに何回かHPでは公開してる写真もありますが、この度改めて古いネガを整理したところ、スキャンしてないものが出てきました。重複するものもありますが改めて公開させていただきます。


美唄鉄道用に製造された2号機 機関庫より出てきました。
昭和44年4月1日訪問
出庫後に乗務員による点検が始まりました
やはり大型タンクはC11などに比べると巨大でした
給水作業
総勢6名にての点検
給水作業完了

さあいよいよ2号機の出番です
美唄炭鉱へ向けて空のセキを牽引し出発
国鉄より払い下げられた4122は機関庫で居眠り
転車台の片隅に置かれていたもう一台のE型タンク4137 どうやら火が入ってないようです。
4137はこの時既に廃車になってたようでした。
7号機は国鉄よりの払い下げ、旧9616で初期型特徴のキャブ下がS字カーブとなっています。2両目の客車はスハフ6,国鉄
払い下げの車両で3軸ボギー車です。なんとこの車両、静態保存されてるとのこと。
国鉄払い下げのガソリンカーもこの時走ってたかどうかは定かではありません。
訪問3年後にこの鉄道が廃止となったということで、貴重な車両をこの目で見て、また記録として残せたことはなんと幸せなことか
嘗ては石炭で繁栄した美唄が21世紀には自治体が崩壊、いくら時代の流れとは言え歴史とは酷いものです。幸いなことにいくつ
かの車両は保存されてると聞きました。機会があればぜひ再訪を試みてみたいです。
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