青大将登場物語




昭和31年11月19日 ついに東海道本線が全線電化されました。
国鉄は、蒸気機関車の煤煙で車体が汚れにくくなったこともあり、機関車から展望車まで丸ごと淡緑色に
塗った特急列車を世に送り出しました。
これが青大将の登場です。

電化当時を実際に見たわけでないのであまり気にしてなかったのですが、一夜にしてどのように全車両を
塗り替えたのかがかねてよりの疑問でした。



大阪駅へ到着した1レ つばめ マイテ3921
昭和31年11月18日 大阪
たーサン様撮影
この1枚の写真。何の変哲もないつばめの展望車の写真としか見えません。
しかしながら、これは青大将誕生にまつわる非常に貴重な写真です。
東海道本線電化を明日に控え、極秘裏に計画されていた《青大将》
17:00ジャストに大阪駅に到着したつばめ編成。これから宮原へ回送して
青大将に模様替え???


下記の編成は上記たーサン様が撮影された18日1レの編成表です
C62 スハニ35 スハ44 スハ44 スハ44 オハ46 スロ54 スロ54 マシ35 スロ54 スロ54 スロ54 マイテ3921

編成表をよく見てください。
スハ44とスロ54の間に何とオハ46が組み込まれています。また別の日の編成を見ますと、
スロ54の代わりに当時はつばめ、はとから退いたスロ60が組み込まれています。
これは何を物語っているか?


《つばめ》 《はと》はそれぞれ1編成の予備車両を持って運用していました。
都合6編成を同時に塗装するには相当期間つばめ・はとの運行を止めるしか有りません。
しかも極秘裏に塗装など不可能です。

勿論特急列車の運行は止められるはずもありません。



2レ EF58に付けられた祝賀ヘッドマーク マイテに付けられた青大将バージョンの行灯


殆どの方が一夜にして青大将になったと聞いておられると思いますが、実は1レ 2レの2編成のみが
塗装変更され当日に挑みました。

たーサン様の撮影された珍編成は、新塗装を行うため車両を順次工場へ送り込んでおり、その代車
としてスロ60やオハ46が編成に組み込まれていたわけです。


2編成を祝賀列車にするためには相当前から準備していたことと思います。
予備編成を含めた6編成全部が青大将になったのは昭和31年の年末までかかったとのことです。


このお話は鉄道画報7号の関 崇博氏の《青大将スペシャル》を参考にまとめております。
しかし、その貴重な資料・記述の中に大きな誤りがありました。


関氏の記述では昭和31年11月17日、つまり電化前々日の2レ つばめの展望車が青大将色に
塗装されたマイテ3921が組み込まれていた。 と記されています。
ところが、たーサン様はその翌日=電化前日の1レ 旧塗装のマイテ3921を撮影されています。

展望車の話ではお世話になっているO氏にお聞きしたところ、マイテ3921の展望室は淡緑色に塗り
つぶされており、その強烈な印象が外装まで青大将と脳裏に刻まれていたのではないかとのことでした。


人間の記憶というのは曖昧なものですが、写真に残された事実というのは覆せませんね。
という訳でたーサン様のお写真はプレミアムが付いても可笑しくない貴重なお写真となりました。


鉄道ピクトリアル誌掲載の星 晃氏撮影 によりますとスロ54が高砂工場で青大将色に塗られ完成したのが
昭和31年11月8日と記されています。なんと11日前にやっと完成。オシ17にいたっては12日に走行テスト
を行っているのでわずか7日前という慌しさです。




電化前日の3レ 特急はと
昭和31年11月18日 大阪
たーサン様より貴重なお写真をお預かりしました。 東海道本線電化前日のC62が牽引する特急はと 
その最後尾のマイテ3911です。


この編成をよ〜く見ますと、マイテ3911の次はスロ60、遠くにはマシ35の姿も見えます。
ご存知のようにマイテ3911は青大将になっていなかったのですが、当然スロ60も青大将化してません。
ここでも青大将編成を作るため代車運用されていたことが証明できますね

話は変わりますが、ここに写っているマイテ3911はこれが定期運用最後の画像です。
以後、マイテ3911は定期運用から外れ、予備車として《さくら》や外人観光客用列車に組み込まれた
わけなので、この写真も超貴重な画像となりました。



      

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